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カウンセリングのテクニックに傷つきカウンセラーを信頼できない

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中学生の頃不登校になり、スクールカウンセラーに相談したところ自分の話をオウム返しされて、バカにされているように感じて以来カウンセラーのことが信頼できない、

カウンセリングについて勉強した今ではそのような「オウム返し」がカウンセリング上重要な「傾聴」のテクニックの一環であったことを理解しているが、頭でわかっても感情が追い付かず、カウンセラーという存在を疑ってしまう、どうすればカウンセラーという存在を受け入れられるのか?

…というご相談をいただきました。

「どうすればカウンセラーという存在を受け入れられるのか?」と言われても、なぜカウンセラーを受け入れる必要がある前提なのかわからないというか、受け入れたくないとか受け入れられないならカウンセラーなんて受け入れなくてもまったく困らないんじゃないか?

…というのが一番正直な僕の思うところだったりするわけですが、それではあまりに身も蓋もなさすぎるため、なんらかの事情でカウンセラーというものが必要という仮定で思うところを答えてみます。

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テクニック偏重のカウンセラーの「傾聴」と「共感」に不信感

まつたけさんから返事を頂けたので調子にのって少し昔話をしたいと思います。

私は中学生の時ある期間学校に行けなくなる日が続いたことがありました。
何故かと言いますと部活の関係でうまくいっておらず、部活に参加したくないという思いがあったからです。
学校に行くと同じクラスや学年には部活の子が多くいたため、学校に行けば部活に行かなくてはならない。けど、行くのが辛くてたまらない。
じゃあ、学校を休んでしまえばいいのだという考えに至りました。

(余談ですがその当時年間40日弱学校を休んでいたのですが、その後大学で不登校の定義を学ぶと、年間30日以上休んでしまうことだそうです。当時もその時も自分が不登校だった自覚がなかったのでとても驚いたことを今でも覚えています。)

その過程の中でスクールカウンセラーの方にお話をしてみたらどうだろうと言われました。
当時の私はこの状況をどうしたらいいのか、どうすれば改善するのかをアドバイスしてもらいたかったのですが、そのカウンセラーさんの対応は真逆のものでした。

私が「○○が辛くて」と言うと
カウンセラーさんは「あなたは◯◯が辛いのね」と言い、
「どうしたらいいのか分からなくて」と言うと
「あなたはどうしたらいいのか分からないのね」とおうむ返しのように繰り返されました。
その時の私はこのカウンセラーが自分を馬鹿にしているように、話を聞いていないように感じられ、早々に話を切り上げ在学中二度とスクールカウンセラーに行くことはありませんでした。

今ですと少しかじった程度の知識ですが、
カウンセラーには傾聴と共感ということが重要でその傾聴のテクニックに私が受けたような「おうむ返し」があることは理解できています。

しかし、頭でわかっていても感情が追い付いて来てくれず、カウンセラーという名のつく方をどこか疑ってしまいます。

どうすればカウンセラーという存在を受け入れられるのでしょうか?
それとももう諦めてしまった方がいいのでしょうか。

思っていた以上に溜まっていたのか長くなってしまいました。
目の滑る文章ですみません。

くらげさん、メッセージありがとうございます。

中学生の頃のスクールカウンセラーとの一件に関しては、同情することしかできません。

ただ「どうすればカウンセラーという存在を受け入れられるのでしょうか?」ということですが、そもそもなぜカウンセラーという存在が受け入れるべきものである前提なのかわからないというのが正直なところです。

とはいえカウンセラーという職業の是非、みたいな大仰な話にする気はありませんが、とりあえずくらげさんのお話はどう考えても単にそのスクールカウンセラーが未熟だっただけのような気がします。

心理カウンセリングの危険性、信頼していいのか

共感や傾聴の原則を理解せずテクニックを偏重するにわかカウンセラー

勘違いしている人がそれこそ心理学やカウンセリングの現場にもいることに本当にびっくりするのですが、そもそも「傾聴」や「共感」といったことはカウンセリングの「原則」であって「テクニック」ではありません。

ミラーリングだのペーシングだのバックトラック(くらげさんがされたようないわゆるオウム返し)だのといったテクニックは、本来はあくまで原則から導き出された経験則的なものです。

優れたカウンセラーや臨床心理士のやり方を分析してみると、そういえば共通してこういうことをやってるよね、程度のものです。テクニックというのは原則をきちんと踏まえてさえいれば本来必要ないものです。というと語弊があるかもしれませんが、ことさらにテクニックとして意識しなくても結果的にそうなるよね、ってだけのことです。

要は順番がまるで逆なんです。本来テクニックというのは原則から自然に導き出された結果論でしかないのに、原則も理解してない人間に限ってテクニックから入って、やがては本質に至るでもなく徹頭徹尾テクニックをテクニックとしてしか扱えない、なんちゃってカウンセラーが大量生産されているのが現状(惨状)な気がします。

NLPでも何でも原則よりテクニックを重視する人は信じない方が無難

近年猫も杓子もといった感じで企業やらのビジネスの場にも「応用(という名のただの商業利用)」されているNLP(神経言語プログラミング)なんかも、元をただせばただのパクリです。

パクリというのは別に悪口でもなんでもなく、NLP創始者のジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーの2人がその時代随一の臨床家や心理カウンセラーだった、ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズ、家族療法のヴァージニア・サティア、そしてウィザード(魔法使い)とまで呼ばれた伝説的な催眠療法家のミルトン・エリクソンのカウンセリングの実際を徹底的に分析し、自覚的にパクったものです。

その原則→テクニックという順番を、センスのないカウンセラーや臨床心理士ほど、何しろ原則を理解するだけの頭もセンスもないもんだからテクニックから入って、そして原則を理解しないままテクニックに終止してしまいます。

カウンセリングや心理療法におけるセンスとは、まずもって相手に寄り添う気持ち、まさに共感であり、厳密には「傾聴」といった態度ですらそこから副次的に自然に導かれるものでしかありません。

それがないからテクニックをテクニックとしてしか扱うことができず、

その時の私はこのカウンセラーが自分を馬鹿にしているように、話を聞いていないように感じられ、早々に話を切り上げ在学中二度とスクールカウンセラーに行くことはありませんでした。

といった不幸な事故、としかいえないような悲劇的なことにもなってしまいます。

とはいえこれは別に何らカウンセリングとかカウンセラー自体を否定しているわけではなく、単にそういうにわかカウンセラーや未熟なカウンセラーが多いというだけの話で、くらげさんが当たったスクールカウンセラーもそうだったというだけのことだと思います。

大半の凡庸の中にもインチキもいれば本物もいるのはどの世界も一緒

一応言っておきますが、僕は別にテクニックを否定しているわけではありません。

正直僕なんかはそれこそNLPとか眉唾だと思ってるし、少なくともNLPの資格を持ってますみたいなFacebookにたくさんいそうな意識高い系の人たちのことは限りなくうさんくさいものを見る目で見ていますが、どこかに本物もいるだろうとは思ってます。

こういうのって結局テクニックがどうだとか何を身につけたからどうだとかじゃなくて、その人間が本物かどうかってことに尽きると思っていて、割合こそ違えどどこの世界も大半は凡庸な人であふれ、インチキやまがい物、詐欺師もいる代わりに、0.1%以下で本物もいると思っています。

カウンセリングという世界に限った話をしても、テクニックとしてこれ見よがしに使ったり、ましてや患者やクライアントに不自然さを察せられたり、不快感すら与えてしまうような使い方しかできないというのは、単にそのカウンセラーの技量があまりに未熟、というか厳密にはそもそもカウンセリングとしてまともに成立していないだけです。

残念ながら、そういった日本の「心理学」とか「カウンセリング」、「心理療法」といったものを取り巻く現状は、くらげさんが当たったスクールカウンセラーとほとんど同様のレベルを出ていないような気がします。

でも例えば先に名前を挙げたミルトン・エリクソンみたいなごくごく一部の貴重な例外が存在することも事実だと思っていて、僕はそういう本物に関しては非常に興味があります。


ミルトン・エリクソンの催眠テクニック

NLP創始者の2人が分析したミルトン・エリクソンの催眠テクニック

「カウンセラー」という職業で十把一絡げに括るのは短絡的すぎ

ただ魔法使いとまで呼ばれたミルトン・エリクソンみたいな例外的な天才を、「カウンセラー」とか「心理療法家」という職業全体に十把一絡げに敷衍してしまうのはあまりにも無茶な話です。

まったく同様に、くらげさんの中学校のスクールカウンセラーのような、あまりに未熟なカウンセラーをして「カウンセラーなんて全員インチキだ」と言ってしまうのもさすがに乱暴すぎる気がします。

もちろん中にはちゃんとやってる人もいるんだろうし、そういう人にしてみたら件のスクールカウンセラーのような例を以って、十把一絡げにカウンセリングや心理療法を否定されたりしたら怒り心頭といった感じかもしれません。

別に僕はカウンセリングや心理療法というものの価値そのものを否定する気はありません。

まあはっきり言ってほとんどの場合ただの気休めだと僕は思っていますが(小声)、気休めであっても必要としている人はいるんだろうし、1時間1万円とか2万円払って誰かに話を聞いてほしい、それで気休めとか気晴らしがしたいという人も実際いるわけですから、立派に商売として成り立っているんでしょう。

カウンセラーとか国家資格があるわけじゃないし頼る前に警戒が必要

ただ、くらげさんがあたったスクールカウンセラーみたいな、あまりにも技量の未熟でお粗末な自称カウンセラーとか何たら心理療法家みたいなのが多い業界であることは確かだと思います。

外科や内科のお医者さんであれば当然目に見える形で技量が要求されますが、心理カウンセラーとか心理セラピストといった「心理~」のいわゆる心理職は、形のないものを扱っているだけに技量の優劣が見極めづらいからです。

そもそも心理カウンセラーとか心理セラピストとか言った心理職には、国家試験とか国家資格とかないですからね。限りなく詐欺に近いようなもの含む民間資格ならいっぱいありますけど、それを取得してドヤ顔で自慢しちゃう人間はどうしようもないアホなのか、それともどうしようもないアホから自分も同じように搾取する気満々の狡猾なクズなのか。

それはわかりませんが(人による)、自称「カウンセラー」なんて自称「コンサルタント」と同じかそれ以上に警戒する程度の自衛的な態度は、まずカウンセラーに頼るより先に最低限持っておくべきだと思います。

わけのわからない民間資格を数十時間のトレーニングとか、下手したら数時間の1Dayセミナーを受講して民間資格を授与されました!とかドヤられたところで、知らんがな…って話です。

まして臨床心理士とかスクールカウンセラーとしてきちんとお勉強して知識や資格を身に着けましたと言ったところで、所詮同じ人間には違いないですし、カウンセラーや心理療法家としてのトレーニングを受けたから聖人君子になるなんてことはまずありません。

新興宗教は警戒するくせにカウンセリングは信用しちゃう危うさ

というか、そんなの本来は当たり前の話で、カウンセラーには万能であってほしい、全知全能の神のごとき存在であってほしい、なんて願望を無意識にでもカウンセラーに期待して投影してしまうクライアントの側の心根も問題ではあります(しかたないんだけど)

だからそういったただの幻想は早い段階で踏み砕くのがむしろ人間的にも技量的にもまともな信用できるカウンセラーなわけですが、当然アホカウンセラーにはそんなことはできません。

そのレベルの心理学のテクニックごっこは勘違いブサ男がキャバクラでキャバ嬢相手にとくとくと披露してチヤホヤしてもらうとか、せいぜい合コンで安っぽい女の子のお持ち帰りに血道を上げるくらいのことにとどめておいてほしいもんだと切に思います。

本気でメンタルヘルスで悩んだり苦しんだりしている人間の心理療法だとかカウンセリングの現場に、その程度の児戯を持ち込んで、偉そうに高額の料金を請求とか、もはやする方の人間性はどうこう言う気さえしないですけど、やっぱり頼る側でもある程度の警戒は必要かと思います。

ただ何しろメンタルヘルスに問題を抱えていたり、抱えきれない悩みに苦しんでいて早く楽になりたい人間からすると、正常な判断力もなくなっているので非常に浸け込みやすい上に高額の搾取もしやすいわけで、そういう意味では邪悪な人間にとっては絶好の「市場」でもあります。

そうなると構造としては「除霊してしんぜよう」とか「このツボを買えば~」とか言ってる新興宗教とか霊感占い師と変わらないわけで、「宗教」というとみんな怪しいとかこわいとか言って身構えるくせに、「カウンセリング」とか「セラピー」っていうと安心しちゃうのって、そりゃオウムみたいな新興宗教も栄えるし非常に危ういなーと思ってます。

(新興宗教のフロントは大学のサークルだったり自己啓発系のセミナーだったりヒーリングを謳ったセラピーだったりすることが多い)

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全か無かでカウンセラーをどう受け入れるべきか?という態度は危険

完全に話がズレまくりました。というのも単に今回のくらげさんの

どうすればカウンセラーという存在を受け入れられるのでしょうか?
それとももう諦めてしまった方がいいのでしょうか。

というご相談に答えるだけなら、

「当然個々のカウンセラーによるので、『カウンセラーという存在を受け入れるべきか否か?』みたいに全か無かで大きく括られてもなんとも言えない」とか、

「しいて言えばそういう極端な分け方をするのであればカウンセラーなんて別に受け入れたりしなくても生きていけるし受け入れないほうが無難」ということで終わってしまうからです。

昔寿司屋に行ったらそこの寿司屋がひどい店で嫌な思いをした。それ以来寿司屋という職業を疑っている。どうすれば寿司屋という存在を受け入れられるのか?」と聞かれたら、多分「いや、たまたまそういう寿司屋に当たっただけなんじゃないの?」と答えるしかないのではないでしょうか。

そもそも寿司自体が嫌いとか苦手なら食べなきゃいいだけの話ですし、カウンセリングとかカウンセラーに関しての問題もはっきり言ってこれとまったく同様かと思います。

「全か無か」でカウンセラーをどう受け入れるべきか?というのは非常に危ういと思いますし、そういう意味で言うのであれば「諦めてしまった方がいい」(無難)と思います。

結局最後はかなり身も蓋もない話になってしまいましたが、どこか一行でも参考にしてもらえる部分があったらいいな、なかったらこんな長文書いちゃってわたし…馬鹿みたい…って橋の上から夜の道路を見下ろして中島みゆきを聴きながら行き交う車のヘッドライト・テールライトを涙ににじませたいと思います。

メッセージありがとうございました!

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メッセージ

  1. 匿名 より:

    これに同じ境遇にある者で、且つこの記事に辿り着けなかった者の中には
    今度は自分自身を疑うようになるものも少なくないだろう。
    …一方、カウンセラーを志した者の中には、このやりかたに違和感を抱いた者も
    居たかもしれない。マジョリティーの力には到底敵わず、押し切られて無念な思いをしたか、それとも「洗脳」されたか…

  2. 匿名 より:

    悩みごとについて筆を進めていると、ひとつの物事から書き始めたにも関わらず、
    B5判の手帳見開きにはとても収まらない程書くことが尽きない、
    そんな経験をした人も少なくないだろう。
    このように、心の問題を作り上げる前提条件は余りにも膨大で、多岐にわたる。
    それら全てを理解しないと心の問題の解決はストレートに進行しないのに、
    ただオウム返しするだけでは理解しているかどうかがわからない
    …と言うより、理解しているように到底思えない。
    其ばかりか、多くの健常者は無意識に心の問題の前提条件をフルに読み込むことを避ける。
    余りにも大容量過ぎて、並みの情報整理力じゃ一瞬で考えるためのスペースを奪われるから。
    また、現場を見ていないから推測でしかないが、
    患者の多くは回りに表面だけ見て当たり障りのないアドバイスしか
    出来ない人しかいないと考えられ、
    「違う、そんな単純じゃない」と思いながらも具体的に説明できないばかりに
    結果的になにも無かったことにされ、問題が進展しないという
    地味に絶望的な状況におかれ続けた人も少なくないだろう。
    そんな中で頼みの綱としてカウンセラーを尋ねたら「お前もか」と力なく思うのは当然。
    しかし、「話を聞いてもらっている」以上、文句は言えない。
    …これが、人々がいつまでたっても救われず、
    その周りの人々が「いつまでかかってんだ」と無情にカリカリする理由だ。
    そして、「(状況は進展しないけど)手を借りているのは確か」
    「直ろうとするのは患者自身」などという無理解な周りと説明できないから認めるしかない自分からの圧力によって、ネガティブスパイラルに突入する。
    私は似た状況に置かれた経験があるからこのコメントを書くことができたが、
    考えることを諦めて適応(降伏)した人々に、患者に寄り添う発想はできまい。
    そもそも、お互いに相容れない生き方をしているのだから。
    …だが私は、絶対に降伏しない。